ブラジリアン柔術とは、格闘技としての実戦性を備えていますが、基本的には身を守るための技術であり、護身術として生まれました。
■歴史
1914年に日本から何人かの達人とも呼ぶべき柔術家達が海外に出かけ、各種格闘技と他流試合を繰り返しつつ、同時にその格闘技(柔術)を指導していました。
その代表的な人物が柔術マスター“コンデ・コマ”こと前田光世です。
前田光世は、ヨーロッパ、アメリカを旅した後、1915年にブラジルに到着しブラジルに定住することとなり、地元の有力者であったガスタオン・グレイシーの長男カーロス・グレイシーにその技術を伝えます。
カーロスはその後自分の兄弟達にも柔術を教え、末弟のエリオ・グレイシーと共に技術革新をもたらしました。かの有名なグレイシー柔術誕生です。
カーロスとエリオは、 グレイシー・チャレンジと呼ばれる他流派とのバーリトゥード(何でも有りの意)ルールによる試合を、道場や公の場で数多く行い、グレイシー柔術を発展させていきました。
なんと、日本の伝説の柔道家の木村政彦とも対戦しています。
その後も80年間に渡り独自の進化を遂げました。グレイシー柔術の存在は、1993年にアメリカで開催された究極の格闘技イベント『アルティメット大会(UFC)』においてそのベールを脱ぐことになりました。
なんでもありという極限のルールにおいて、自分よりはるかに大きな体格の相手を何人も倒し、ほとんど無傷でトーナメントを勝ち抜いたのは、エリオ・グレイシーの六男ホイス・グレイシーです。
ホイスの活躍により、グレイシー柔術の技術はこのあと世界中から脚光を浴びることになりました。
そして、ホイス・グレイシーが自分より10倍強いと発言したことでヒクソン・グレイシーが脚光を浴び、のちに日本での試合へとなっていきます。
そう、プロレスラー VS グレイシー柔術の因縁の始まりです。
現在では、総合格闘技の選手で柔術を習っていない選手はほぼ皆無といってよいでしょう。
そういう意味でグレイシー柔術は世界中で広まっている競技となります。
ブラジリアん柔術はオリンピック種目になることを一つの目標としているようです。
このまま競技人口が増えていけば、近い将来、オリンピック競技となるかもしれませんね。