母親「これほどの償い必要か」
2008年3月の府南部。高校の卒業式を終えたばかりの吉村侑紀さんは散髪に向かった。かわいがっていた愛犬を自宅の台所で抱き上げて顔を寄せる。「行ってくるわ」。母親の容子さんに告げ、ミニバイクで家を出た。
侑紀さんを見送ってから買い物に行っていた容子さんの携帯電話に病院からメールが入った。「侑紀君が事故に遭ったので来てください」。慌てて車で駆けつけると、息子は既に集中治療室。会話はできない状態だった。
事故時、侑紀さんはヘルメットをかぶっていなかった。家を出てすぐ警察官に見つかって追跡された。追跡を振り切って狭い路地を逃げる中、車と出合い頭にぶつかって転倒。全身を強く打った。
「とにかく命だけでも助かってほしい」。病院で祈った。開頭手術は無事に終わったが、意識不明の状態が続いた。容子さんは声を掛けるのをやめなかった。
数週間後、侑紀さんの目が開いた。うれしくて必死に語り掛けたが、焦点は合わない。ドラマのように、いつか前のように話してくれるかも。そう信じたが病状は好転せず、意思疎通はかなわないままだった。11年がたった。
「親不孝して。お母さんの11年を返して」
病室には縫いぐるみを置き、ベッドサイドには元気だった頃に海辺で撮った侑紀さんの写真。できるだけ明るい雰囲気にしたいという思いからだ。病室を出た容子さんは、声を絞り出した。「病室に入るたび、あの日に引き戻される。本当に地獄みたい」
警察からは追跡に問題なかったという説明を受けた。乗用車を運転していた女性は事故当日に病院へ来たきり。
「相手を責めるつもりはない。でも事故が起こってから11年、まだ苦しみが続いていることを知ってほしいんです」
ヘルメットをかぶらずにミニバイクを乗っていた非は息子にある。警察に見つかったならなぜ逃げたのか。言いたいことはたくさんある。「親不孝して。お母さんの11年を返して」。だがベッド上の姿を見ると「これほどの償いが必要なのか」という思いがこみ上げる。
当時の記事
26日午後0時15分ごろ、京都府井手町井手辻垣内の府道交差点で、同町の少年(18)のミニバイクが、京都府宇治田原町の女性教諭(30)の乗用車と出合い頭に衝突した。少年は頭や胸を強く打ち意識不明の重体。
田辺署の調べでは、少年はヘルメットをかぶらず、ナンバープレートも付けずに運転。近くで別の事故を調べていた署員が少年に気付きバイクで追跡を始めたが、引き離されて追跡を中断したという。交差点に信号はなかった。
田辺署は「署員の追跡は適正だった。少年がけがをしたことは遺憾」としている。