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K-1 | 初代王者ブランコ・シカティック氏が死去 | 石井和義「無口な本物のサムライだった」

ブランコ・シカティック氏が死去

クロアチア国営放送(HRT)電子版は23日、クロアチアの格闘家ブランコ・シカティック氏が死去したと報じた。65歳だった。

HRTによると、長年、闘病生活を送っていたという。93年に行われたK-1グランプリに38歳で参戦。佐竹雅昭、アーネスト・ホーストなどを撃破。K-1初代チャンピオンに輝いた。強烈な右ストレートなどが武器で「伝説のこぶし」との異名を誇った。

格闘ジムのチャクリキジャパンによると、シカティック氏は22日、クロアチア、ソリンの自宅で死去した。18年に肺血栓症で入院。パーキンソン病などもあり、ここ2年は家族の支えのもと自宅での闘病生活を送っていたという。

石井和義「無口な本物のサムライだった」

K-1の創始者・石井和義氏(66)が23日、自身のツイッターを更新。22日に65歳で亡くなった「K―1グランプリ」の初代王者ブランコ・シカティック氏を悼んだ。

 「ブランコシカテック逝く。93第1回K―1グランプリ王者、無名のダークホースの優勝から僕達のK―1はスタートした」と当時を回想。「無口な本物のサムライだった、早過ぎる!合掌 安らかに。」と記した。

 シカティック氏は、1954年10月3日、クロアチアのスプリトで生まれた。1993年4月30日に代々木第一体育館で行われたK―1グランプリに参戦し決勝戦でアーネスト・ホーストをKOで破り初代K―1王者となった。

 強烈な右ストレートは「伝説の拳」と評される破壊力を誇り、94年12月に一度引退するが、97年3月のムサシ戦で現役復帰。K―1では11戦し6勝(6KO)5敗の戦績を残した。97年10月11日には東京ドームで行われた総合格闘技イベント「PRIDE.1」に参戦するなど総合格闘技のリングでも活躍した。

「伝説の拳」でPRIDEでも活躍

シカティック氏は、1954年10月3日、クロアチアのスプリトで生まれた。1993年4月30日に代々木第一体育館で行われたK―1グランプリに参戦し決勝戦でアーネスト・ホーストをKOで破り初代K―1王者となった。

 強烈な右ストレートは「伝説の拳」と評される破壊力を誇り、94年12月に一度引退するが、97年3月のムサシ戦で現役復帰。K―1では11戦し6勝(6KO)5敗の戦績を残した。97年10月11日には東京ドームで行われた総合格闘技イベント「PRIDE.1」に参戦するなど総合格闘技のリングでも活躍した。

 引退後は、クロアチアにジムを開設。さらに要人を警護する警備会社を経営しているほか、格闘技イベントを開催していたが、2018年に肺塞栓症および敗血症のために入院。クロアチアの有志たちによって入院費を援助する募金活動が行われていたが、その後、パーキンソン病を発症していたという。ドージョーチャクリキジャパンの関係者によると、最期はクロアチアのソリンの自宅で家族に看取られて65年間の生涯を閉じたという。

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