女系天皇を認めると「圭上皇」が誕生
「国民を敵に回した10分間」としか言いようがない。小室眞子・圭夫妻の記者会見。
一方的に声明を読み上げて退席。質疑応答の代わりの回答文には、殺伐とした返答が並ぶ。「こんなものは記者会見でも何でもない」。
小室圭氏を褒めよう。神経が縄文杉のように図太い。また、小室圭氏のおかげで、女系天皇論を葬り去る流れが出来上がった。かつては旧皇族の男系子孫の皇籍取得に反対だった国家議員の先生方でも「アレが皇族になるなど、とんでもない」との声が多数。
女系天皇が認められたら、小室圭氏は皇族となる
眞子内親王殿下との間の子供は皇族、天皇になれる。その暁には、「天皇の父」として上皇になる資格が生じる。あまり知られていないが、天皇にならずに上皇になられた方は、「不登極帝」と言って、三例ある。女系天皇を認めると、史上初の民間人出身「圭上皇」が誕生する。
皇室の歴史は男女関係で政治を動かした
推古天皇は蘇我馬子と不倫関係にあったと伝わる。
中大兄皇子は大海人皇子から恋人の額田王を奪い、対立。二人の子孫は100年に渡る抗争を繰り広げた。
称徳天皇は、愛人と噂された弓削道鏡を皇位につけようとした。
平城天皇は愛人の藤原薬子に誑かされて変を起こし、「二所朝廷」が出現。日本を二分する動乱に突入しそうになった。
保元の乱の遠因は、白河法皇が孫の鳥羽天皇の妻を孕ませたことだった。鳥羽天皇は、崇徳天皇を実の子と認めなかった。
承久の乱は後鳥羽上皇が裁判で自分の妾に依怙贔屓せよと鎌倉幕府に迫ったところから始まった。
後深草上皇は実の妹と近親相姦関係にあったが、これまた実の弟の亀山上皇がその妹を奪った。ところが、それは兄のハニートラップだった。南北朝の動乱の始まりである。
建武の親政において大功のあった護良親王は、後醍醐天皇の寵姫だった阿野廉子が追い落とされた。建武政府が崩壊する始まりとなった。
足利義満は後円融天皇の後宮を漁りまわった。妻の不貞を疑った天皇は錯乱、自殺未遂の末に、廃人同様の状態に追いやられた。
江戸初期には猪熊事件と呼ばれる宮中乱脈事件が発覚。美男子と評判だった公家の猪熊教利が天皇の女官達との不義密通を重ねていた。これは徳川幕府の朝廷への介入を招き、後陽成天皇の権威は失墜した。
「大正天皇の従妹が不倫した」というだけの白蓮事件は大騒動だった。
紀宮殿下が一ご結婚された時のような、国民からの歓迎がなかった
小室夫妻は、ここに挙げた人々ほど問題を起こしたわけではなかろう。
ただし、「さーやさん」と親しまれた紀宮殿下が一般人の黒田慶樹さんとご結婚された時のような、国民からの歓迎がなかった。
秋篠宮家バッシングが燎原の火の如く広がっている。
愛子さまにも“秋篠宮家騒動”の余波
20歳を迎えられる天皇家の長女、愛子さまは、成年にあたっての皇室行事をお誕生日当日ではなく、5日に実施することに。“秋篠宮家との兼ね合いもあるのではないか”と勘繰ってしまう。
眞子さんのティアラは「2800万円」
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のティアラが作られて以降、女性皇族が成人になるにあたっては、正装としてティアラを身につけるようになった。愛子さまも成年行事の当日、ティアラをお召しになるはずだが“新調されない”可能性がある。
「宮内庁の’21年度予算に愛子さまのティアラの費用が盛り込まれていなかったのです。ちなみに、先日結婚された小室眞子さんは『銀座・和光』が約2800万円、佳子さまは“デザイン重視”とのことで、デザインを一般公募された結果、『ミキモト』が提案した約2900万円のものが落札された」
なぜ、愛子さまのティアラの製作費は、予算に盛り込まれなかったのか。
成年という一生に一度の慶事といえど、コロナ禍で苦しむ国民を前にして、華美で高価なティアラを新調することは避けられたのでしょう。ほかの女性皇族方が身につけたティアラをお召しになる可能性があると思います。
小室さんがNY州の司法試験に不合格となり、想定よりも収入が減る
近いうちに小室夫妻は渡米する予定と聞いていますが、日本から発つことでいったん騒動が落ち着いたとしても、殿下のお誕生日会見によって、再び国民の関心が集まってしまう恐れがあるが、行事日程がずれたことで秋篠宮さまのお誕生日から多少日にちが空くため、愛子さまの慶事から国民の注目がそれる恐れはなくなった。