“現役最強”ゴロフキンに9回TKO負け
WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太とIBF王者ゲンナジー・ゴロフキン9日、さいたまスーパーアリーナで行われ、村田が9回TKOで敗れた。
世界王座防衛21度の現役最強ボクサーとの一戦は、17年10月、エンダム(フランス)に7回TKO勝ちして世界王座を奪取した時には「自分の上にはゴロフキンしかいない」と話し、熱望していた大一番。「プロになって9年。追い求めてきた舞台を用意してもらい、本当に幸せ。彼を倒して強さを証明する」と意気込み臨んだが、あと一歩及ばなかった。
村田諒太 試合後インタビュー
村田は試合後、「みなさん、応援ありがとうございました。想像していたものと違うものを感じた。総合力で上をいかれているなと感じた。見て下さったみなさんが楽しんで下さったかどうかが大事。こうやって拍手をいただけること、すごくうれしい」と話した。
ゲンナジー・ゴロフキン 試合後インタビュー
勝ったゴロフキンは「村田選手はオリンピックチャンピオンというだけではなく、ほんとにスーパー王者、その名にふさわしい戦いを見せてくれた。私も一緒に戦えたこと、ほんとに誇りに思っています。日本のこのような素晴らしいイベントをみなさまにお見せできたこと、戦えたこと、とてもうれしく思っています」と、村田をたたえた。
ゴロフキン「村田と村田のチームにお礼と称賛の言葉を送りたい」
ゴロフキンは9回TKOで下した村田と拳を合わせ、健闘を称え合うと、律儀にお辞儀した。 「まずは皆さんにお礼を言いたい。素晴らしい舞台を用意した関係者、この試合を見たすべての皆さんに感謝します。私のチームにもお礼を言いたい」
「そして、素晴らしいファイトを見せてくれた村田と、村田のチームにお礼と称賛の言葉を送りたい。拍手をお願いします」と呼びかけ、村田に敬意を示した。
「応援した皆さんにお礼を言いたい。特にカザフスタンで応援に駆けつけた方、ありがとうございます」
日本プロボクシングの歴史上初
激戦階級・ミドル級の統一戦が国内で初開催され、15億円興行と言われた1990年のマイク・タイソン―ジェームズ・ダグラス戦(東京ドーム)を凌ぐ規模での世界200以上の国・地域にライブ中継される日本ボクシング史上最大のタイトルマッチとなった。
各ラウンドごとの状況
【1R】立ち上がりはジャブの差し合い。次第に村田が前に圧力をかけ始め、左ボディーを浴びせる。ゴロフキンも強烈なジャブで応戦。
【2R】村田がこのラウンドも前へ。ゴロフキンは下がる展開。村田が強烈な右ストレートや左ボディーを浴びせる。
【3R】ゴロフキンが徐々にギアを上げ始めたが、村田は構わず前へ。ボディーを効果的に打ち込む。
【4R】ゴロフキンは変幻自在のパンチで出るも、村田は高いガードから右ストレートなどで応戦。
【5R】立ち上がりはゴロフキンがコンビネーションを繰り出す。中盤に村田はゴロフキンの左フックを顔面に被弾もボディーを軸に対応。
【6R】ゴロフキンは多角的なパンチを繰り出し、ギアを上げる。村田はややペースが落ちるも、終盤で右を出す場面も。
【7R】ゴロフキンは強烈な左フックなどを繰り出す。村田も負けじと押し返して右ボディーストレートなどで返す。
【8R】ゴロフキン、左フックや左ジャブ、右ストレートを浴びせる。村田は下がる場面があるも、右ストレートで応戦。
【9R】序盤はゴロフキン攻勢。ペースが落ちた相手に村田が前に出たが、右フックを被弾したところでセコンドからタオル投入。無念のストップとなり、善戦むなしく村田の敗戦となった。
ボクシング関係者の声
井上尚弥「“気持ち”受け継いだ」
今日の試合で、村田さんの覚悟を見ました。打っても打ち返すので、ゴロフキン選手も、村田さんの打たれ強さにびっくりした表情もありました。前半、村田さんの右ボディーが良い感じできていましたが、終盤からそのボディーが…。出なくなったのか、出せなかったのか。続けていたら、もっと展開は変わっていたのかなと思います。ボディー攻撃は重要な作戦だったと想像できるので、それに尽きると思います。
村田さんも大きいですが、ゴロフキン選手の体も非常に大きく、なめてはきていないなと感じました。強弱をつける多彩なパンチを出すゴロフキン選手に、村田さんも回を追うごとに対応しきれなくなっていたようにみえました。ただし、村田さんに2年4カ月のブランクは一切感じなかったので、まだまだやれると思います。この試合で十分にパワーをもらいました。このスーパーファイトを見ることができて、良かったです。
自分にとって本当にお兄さん的な存在
村田さんと初めて出会ったのは自分が高校2年の時でした。先に村田さんから話しかけてくれました。本格的に話すようになったのは、高校3年の夏ごろからです。年齢は少し離れていますが、ナショナルチーム(日本代表候補)合宿などで、自分から話しかけることもありましたし、本当に気さくで、かわいがってもらっていました。(07年世界選手権銅メダルの)川内(将嗣)さんと村田さんがリーダーシップを取っていて、自分にとって本当にお兄さん的な存在でした。
特に記憶に残っている村田さんとの思い出があります。ロンドン五輪予選も兼ねていた11年の世界選手権3回戦で、自分はキューバ選手(ベイティア)と試合をしました。試合終了直後は自分も勝ったと思える内容でした。五輪出場権の懸かった大事な試合でしたが、結果は判定負けでした。落ち込んで宿泊先に戻ると、村田さんに「(井上の)試合が終わった時に『よっしゃ勝った』と思った」と声をかけられたこと。今でも良く覚えています。
あの言葉で(五輪は)手の届かないところではない、紙一重の世界なんだと感じましたし、今でも印象に残っています。自分は18歳で五輪ではなくプロの道を選択しましたが、村田さんは五輪で金メダルを獲得し、プロでも世界王者になりました。本当に簡単なことではないと思います。村田さんはプロとアマを通じて、日本人離れしたパワーで勝ち抜いてきたという印象です。今でも、フィジカルはミドル級で世界トップクラスだと思っています。
2カ月後に、自分も同じ会場で王座統一戦を控えています。19年11月のドネア戦の会場ですが、あの時は集中していて、会場や試合の盛り上がりが分からなかった。今回、異様な熱気、雰囲気に包まれるさいたまスーパーアリーナを疑似体験することもできました。村田さんの“気持ち”を受け継いで、2カ月後のドネア戦に向けて準備していきたいと思っています。
山中慎介氏「超一流のチャンピオン」
「村田選手は、やりたいことはほぼできていたと思う。ゴロフキンも明らかに嫌がっていた」。
一王者については、「軽めのパンチで休みながらリズムをつけていった。ジャブもそうだが、角度やタイミングなど素晴らしいものを持っている。超一流のチャンピオン」とたたえた。
長谷川穂積
第9ラウンドで一度は盛り返そうとする気迫を見せた村田の戦いぶりについて「コロナで試合ができなかった2年分の思いを感じた。感動した」と実感を込めた。
勝敗を分けたポイントについては、「(村田は)後半にボディーが少なくなっていたこと」と「強い相手と戦ってきたゴロフキンの総合力」を挙げた。
大橋秀行「村田選手これまでで一番いい試合」
中身の濃い、最高の試合だった。80年代にテレビで見て興奮した、あのハグラーやレナード、ハーンズのスーパーファイトを思い出した。こんな迫力に満ちたミドル級の打ち合いを、日本で観戦できたことに感動している。この試合を実現させた帝拳の本田明彦会長に敬意を表したい。
村田選手は敗れたが、これまでで一番いい試合だったと思う。初回からワンツーとボディーブローで勝負をかけて、あのゴロフキンを後退させた。ピンチに陥っても、効いていても、カウンターを狙っていた。最後まで勝負を捨てず、止められる直前まで反撃していた。すごい闘志だった。
ゴロフキンは左ジャブが重く、使い方も巧みだった。それが勝敗を分けたように見えた。たたきつけるような独特な左フックも強く、パンチを浴びても慌てなかった。ただ、村田選手は体のパワーでは負けていなかった。日本人でもミドル級のトップ戦線で戦えることを、あらためて証明してくれた。
試合後に2人が笑顔で抱き合うシーンが美しく、気持ち良かった。試合前から互いに挑発することなく、笑顔で敬意を表していた。開始ゴング前の一瞬のにらみ合いは、すごみがあったが、戦いが終わればまた笑顔で健闘をたたえ合う。2人はこの一戦を通じて、ボクシング、そしてスポーツの美しさも見せてくれたと思う。
浜田剛史「もったいなかった…」
村田はよくやったという思いよりも、もったいなかったという気持ちの方が強い。試合の鍵は左ボディーアッパーだと思っていた通り、ゴロフキンには本当に効いていた。ボディーを狙うと空いた上を打たれるリスクもあるが、右から返す村田のボディーは相手に打つ隙を与えないほど速く、プロ転向後で最も進化していた。
中盤からはゴロフキンがポイントを取っていたが、各ラウンドの後半は村田が盛り返しており、陣営としては五分五分とみていた。村田同様にダメージがあり、ゴロフキンもあと一発ボディーが当たれば倒れるような状況だった。ゴロフキンがこれほど後退させられた試合は今までなく、自分からクリンチしたり、ボディーを狙われてかわす動きも見たことがない。
今後についてすぐには結論が出ないだろうが、いずれにしてもしっかり考えて答えを出してくれるはずだ。
各国から絶賛の声
海外メディアから村田諒太へ賛辞が送られている。
米スポーツ専門局「ESPN」のアリエル・ヘルワニ記者は、「GGGは40歳でもまだやれる」と公式ツイッターに綴り、「楽しい試合だった」としたうえで、タオル投入については「良い判断だった」と支持する姿勢を示した。
米ボクシング専門誌『The Ring』の名物コラムニスト、マイケル・モンテロ氏は、「ムラタは何も恥じることはない。文字通りすべてを出し尽くし、序盤は非常にうまくいっていた」とツイート。ゴロフキンの戦いぶりには、「スロースタートだったが、すぐにリングの錆を落とし、中盤から主導権を握った」と言及している。
インタビューで、「想像していたものと違うものを感じた。自分が思っていたよりも凄いなという点とこれは結構いけたという点とかがあった」と率直な感想を明かした村田。
今後の去就に注目が集まっている。
村田諒太「タオルを投入したのは知らなかった」
村田の一問一答
試合後の感情
村田「まだ感情はわかない。ゴロフキン選手のイメージは『強い』『無理やりにでも倒してしまう』というものだったが、実際にやってみたら強さよりもうまさ。ボクシングの完成度の高さの違いを改めて感じました」
効かせる場面もあった
村田「ボディーはよかったんですけど、右ストレートを前で殺すというか、打ってるが距離がずれる。そこが打たれ強いと言われるゆえんなのかと。右の感覚が合わなくて、途中で左フックに変えたりした。対応力のうまさ、僕より1枚も2枚も上手だった。僕にはない経験。強い選手とやってきた経験の差が出たのかなと思います」
どこがすごかった
村田「ダメージの蓄積。パンチ力自体は、『これならどうにかなる』という感じだったが、角度を変えて入れられた。技術の幅。それはすごく感じた。こんなにうまいんだと思いました」
メンタルの保ち方
村田「36の年になって、まだ続けていて、何ができるのかいろいろ考えていて、いろんなことで自分の強さを証明したかった。強さとは何か。中学校の時はすぐに逃げ出す弱い自分がいた。高校生の時の全日本選手権決勝、北京五輪でのふがいない。そういったものを乗り越えて、自分を律して、自分自身を乗り越えたいと思ってやってきた。モチベーションがなくなるというのは防げた。メンタルはしっかりとできた」
TKO負けの瞬間
村田「タオルを投入したのは知らなかった。今知った。でも、僕自身もきついと思っていた時期。当然のタイミングだと思う。一番にやらなければいけないのは無事にリングを降りること。ゴロフキン選手は大丈夫だと思いますけど、無事でカザフスタンに戻れるように」
終わってみて
村田「言葉にしちゃうと残る。後で回収しないといけなくなるので、今の時点で言えることはない。負けた。それだけです」
ゴロフキンのすごさ
村田「2ラウンド3ラウンドの入りはよかった。ただ、総合力。めちゃくちゃパンチ力はありましたけど、自分のブロッキングでなんとかなった。ただ、種類の少ないパンチになってしまったので、一発のパンチ力とかスタミナとか、数値的なことではなくて、技術的なところで彼の方が上だった」
試合中の笑顔
村田「会場に向かうときに、会長に『楽しんでこい』と言われて、そうだよなと。プロに来て憧れの選手と試合ができて、この場を作ってくれたのでしっかり…。…楽しくなかったですけど(笑い)。でも、楽しい場面もありました。どこまで行ってもボクシングファン。海外の試合を見てきて、憧れの選手とやっていることがうれしかったですし、何よりも『楽しんでこい』って言われたのが一番うれしかった。プロに入ってプレッシャーを感じることが多くて…。楽しくなかったですけどね(笑い)? でも、ちょっと楽しい瞬間っていうのがあったかもしれないです」
自己評価
村田「『よくやった』とか、『全てを出し切りました』とかって、試合後に時間がたってからじゃないと…。今、この時点で言えることはない。客観的に捉えることができない。でも、拍手をいただけた。その事実に対して少しは、ほんの少しくらいは、自分のことを評価してあげてもいいかな」
ゴロフキン「ガウンは最も尊敬する人に贈る」
ゴロフキンの一問一答
試合を振り返って
ゴロフキン「皆さんがこの日の夜のために非常に大きな努力をしてくれた。最もビッグで、最も印象に残る試合。感情がつかみきれないし、実感がわかない」
試合後、村田にガウンを着せた
ゴロフキン「村田選手は笑顔が温かいので親近感を持っていますし、とても尊敬しています。すぐれたチャンピオンだと思います。ガウンはカザフスタンの民族衣装。最も尊敬する人に贈るという文化がある。敬意を持って着せました」
試合展開
ゴロフキン「最初は見守っていたわけではないですが、調子を伺っていました。そのうちに『パンチが当たってきたな』という感覚になりました。村田選手はタフでしたしコンビネーションもあったが、徐々に距離がつかめてきたことが大きかったです」
最後に
ゴロフキン「村田選手には、無事で健康でいてほしいです。体力面できついハードな試合だった。お互いですが、だいぶ効いていると思うので、ダメージを引きずらないように回復につとめてほしいです」
ゴロフキン「一緒にたたかえたことが誇り」
「村田選手というのはオリンピックチャンピオンというだけではなく、本当にスーパー王者、その名にふさわしい戦いを見せてくれました。本当に一緒にたたかえたことを誇りに思っています」
最後に、村田に敬意を表し、青いガウンを着せて、村田をたたえた。
一夜後の村田諒太の一問一答
昨夜は眠れましたが
「試合の後、ホテルに戻って4時間ぐらいは寝ましたね。試合日の夜はあまり寝たくないと思いましたが、仕方なく寝ました。まだ試合映像は見ていません。無事にリングから下りることができた安堵感はあります。本当にプロになって、帝拳ジムに来て良かったです。試合前、会長から楽しんでこいと言われたのが、すごくうれしくて。ここ3年ぐらい、無理に楽しもうとしていた。特にパフォーマンスのために感情を封印していたところもありました。ブラント2戦目は感情でなく、やるべきことやった気持ちでした。ボクシングを律してやってきた。昨日の試合中、いろいろな感情がわき上がってきました。(ゴロフキンが詰めて)きたきた、そろそろこのパンチはまずいなとか、このまま流れに負けてあきらめたらいけない、絶対に後悔するぞとか。最後9回でやられましたけれど、すごく濃密な時間だった。あの時間の感じ方、空間を味わえたことが、僕の大きな僕の財産です。それを味わせてくれたのが会長の一言でしたね」
感謝の気持ちは強い
「リングに上がる時は1人かもしれないですが、その前に支えてくれる人がたくさんいる。本田会長をはじめ、(田中)繊大さんやトレーナー、ジムの方々、もちろん家族も。世界王者にしてもらったのですよ。自分は、その役をいただいて演じさせていただいた話だけであって。本当に自分の力なんて少なくて。感謝するばかりです」
今の言える感情は
「今は、まだ受け入れの段階だと思うので、頭が理解していないのです。昨年に試合延期となった喪失体験と同じ喪失体験ですね。1度否定的になったり、頑張ったり、そういう反動が起きると思う。その反動が落ち着いてから、負けというもの受け入れていくと思う。まだ感情の整理は当然のようにできる段階ではないですね。心理学は大事ですね。こうやってプロセスを知って、次に来る感情は予測できるのはいいことだと思っています。いろんなプロセスをたどるはずです。これが落ち着いて、負けたという事実が来ます。ボクシングをするかしないか悩みはじめて。ボクシングをしたいとか、やっぱり辞めるかとか。次の道がなかなか見つからないとか。いろいろなプロセスが来ると思う。大変にはなると思います。それも乗り越えていければいいなと思っています」
今後、進退については
「ゆっくり休んでから考えます」
試合前は感情を保てた
「満足しちゃいそうな時もありましたね。ある時に『やらなくてはいけない目的があるはずだよ』と言われ、よくよく考えていたらありました。試合に向かっていく助けになりました」
それは誰に言われた
「田中ウルヴェ京さんです。メンタルコーチとして付いてもらっていました。試合に向かう、戦う理由があるのでは、と言われました。『そもそも何のために試合したいのか。底辺を忘れずに』というメッセージでした。自分は、お金を稼ぐというのが1番楽な考えで、簡単で吹っ切れる。そう思うとお金を稼ぐことと考えたけれど、それは違うと。最強というものに挑戦し、自分を納得させるための試合と考えました。昔から北京五輪予選も本気になれなかったり、逃げてばかりだった。向かっていく強さ、内面的な強さを得たい、確認したい。自分はそこだと思った。自分への挑戦だと思って、リングに向かえた。心技体が整えられました」
今は何をしたいか
「今は痛いところがあるから、痛みを取りたいですね。首、肩、あごが痛いです。1カ月前からコーヒー断ちしていましたが、飲んだら口の中が痛くて染みます。それだけ(ゴロフキンの)パンチをもらったということです」
今、ゴロフキン戦を振り返って
「ゴロフキン選手の技術のセンスを感じました。パンチの入れ込むところの多彩さが違いました。いろいろな角度からパンチを入れてくるので。その殴る感覚というか、その幅の差を感じましたね」
達成感あるか
「自分自身を高められたということに関しては良しとしてもいいかなと。このゴロフキン戦は(勝利を)達成していないのでないですが、2年4カ月間ですか、コロナ禍で練習を継続しやってこられた自己肯定感はある。びびりな自分がここまでよくやれたなと思います。プロにならずに1度は大学職員やっていた人間ですから。自己肯定感は持てるかなと思います」